お金関係の個人ブログとして需要があるのはその人自身の経験にあると思っています。
私は30代前半で準富裕層、つまり金融資産5000万円以上を保有する世帯となりましたが、
何も初めからお金に対して特段の執着があったわけではありません。
まだ金融資産が少ない人にとって、上位8%程度と言われる準富裕層の先駆者である人物の変遷は気になるはずです。
なるよね?
今回は人生の過去を振り返ってお金の面に着目したことを書いていこうと思います。
時間つぶしの読み物として肩ひじ張らずに見ていただければと。
幼少期
100円玉コレクター
振り返ればお金について特徴的だったことは幼少期までさかのぼります。
この頃の自分でコントロールできるお金は親からもらったお小遣いのみです。
使い道としては学校の友人と近所で遊ぶ時のお菓子代だったりに限定されるわけですが、
特段お金をかけた遊びはしなかったためお小遣いは親からの金融教育の意味合いだけでとどまっていたと思います。
なので財布は親から定期的にもらえる分で満たされていきました。
その中で何故か私は100円玉に対する異常な価値を感じており、大量の100円玉を保有することに満足感を感じていました。
本当に意味が分からないです。
多分50円玉より重みがあり、500円玉より数が多い銀色のものに保有感と収集欲があったのだと思います。
そんな100円玉は出来るだけ失いたくないですから、自然となるべくお金を使わなくなります。
100円玉って使い勝手が良くて買い物をするとすぐになくなっちゃいますからね。
お年玉は親に渡して自分名義の銀行口座に入れてもらっていましたし、お金はあまり使っていなかったと思います。
思えばこの頃からお金を「あえて」使わないことに慣れていたのかもしれません。
欲しいものはプレゼントまで待つ
幼少期は子供は欲しいものをクリスマスと誕生日に親から買ってもらえるというルールがありました。
クリスマスプレゼントはサンタさんから貰えるものではなく親から貰えるものと思っていました。
ガチで鼻からサンタさんの存在は信じていませんでした。あくまで空想上の生き物でした。
なのでクリスマスと誕生日さえ待てば定期的に欲しいものが手に入ったのです。
お小遣いを貯めて何かを買うという発想はありませんでした。
ここは親から受ける金融教育の失敗点だったと思います。
ただ逆を言うと衝動買いは一切なかったので(100円玉も使いたくないし)、倹約家としての片りんは芽生えていたのかもしれません。
中学生~高校生
貯まった一部を使うだけの感覚
この頃は勉強と部活動で自分のお金を使う暇がありませんでした。
中学入学直後の試験でなまじ良い成績を出してしまったことから後戻りができなくなり、その後は自分自身で作り出したプレッシャーと強迫観念から勉強を続ける日々。
放課後は部活動のバスケットボールを夜まで行い帰宅するだけ。
本当にそんな日々だけが続く毎日でしたのでほとんどお小遣いは減りませんでした。
なのでたまに友人と街に繰り出して遊ぶ時もお金の心配はなく、毎月のお小遣いで貯まっていった一部を使うだけという感覚になっていました。
羽目を外した遊びもしなかったので(旅行すらしない)、余裕でお金を出せていました。
ただ一つ荒くお金を使ったことで覚えているのは、お年玉をもらったその日に全額つぎ込んでゲームソフトを買ったことですね。
流石に親はびっくりしていて心配もされていたかもしれませんが、
自分としてはゲームソフトの金額の50倍以上は今までのお小遣いとお年玉で貯まっていたことは分かっていたので、
新たに貰ったお年玉を全額使ってしまっても何ら困ることはないという感覚でした。
有料ネットゲームを開始
中学生頃に友人の紹介で有料のMMORPGに興味を持ち親に打診をしました。
月額1500円。
親はおそらく子供の金融教育的に多少なりの危機を感じたと思います。
結局毎月のお小遣いから天引きすることと、毎日1時間のみという条件で合意ししばらく遊んでいました。
MMORPGを毎日1時間だけとは今思えばかなりの制限でしたね・・・
ただこの出費も普段お金を使うことが無い自分にとっては毎月貯金に上乗せされていくだけのお小遣いの一部が無くなるだけの話であり、
天引きされてるとは言え1500円を毎月失っているという感覚はありませんでした。
この感覚はいいのか悪いのか微妙なところですが、
潤沢な貯蓄を形成してしまった後は、入ってくるフロー収入の一部を自身の楽しみに使っていただけと考えれば、
私が今目指しているFIREの一つのスタイル、コーストFIREに通ずる考えを持っていたのかもしれません。
もちろん閉ざされた家庭の中の、お小遣いという小さな収入の話ですが。
部活用品は親に負担してもらっていた
部活のバスケットボールに掛かるお金は相当な金額を親に負担してもらっていました。
定期的にダメになるバスケットボールシューズは2万円もするため、これを自分で負担するとなると流石に貯金の使い方、毎月のお小遣いの振り分け方を考える必要がありました。
親の存在・収入という大前提のベースの上でしか自分のお金を動かしていなかったのだと今になって痛感します。
ただ高校になってより勉強と部活動の両立が大変になり、中学の頃にのめり込んだMMORPGは殆どしなくなっていたのが幸いでした。
シューズを買わずに毎月1500円を使っていたのでは示しがつかないと思うので。
もしかすると自分はお金をあまり使わないということを、親が代わりに色々負担してくれていたということで錯覚していたのかもしれません。
確かに変な遊びにハマって多額の金額を費やすようなことはしなかったのですが、相当な金額が自分にかかっているという感覚は抜けていたと思います。
奨学金は当然借りるものだと思った
大学入学前に申請できる予約奨学生という制度で奨学金を申請しました。
親に何を言われるまでもなく奨学金は当然借りるものだと思っていました。
本当に何故かはわかりません。
大学生は奨学金を借りるものという固定観念があったのかもしれません。
貸与型だったため将来自分で返す必要のあるものだということは理解していましたが、
※むしろ給付型の存在は知らなかった
もし満足のいく職に付けなかったらというようなリスクは全く考慮していませんでした。
あまりにも甘い考え。
高校三年生の金銭知識などそんなものです。
パソコンを購入で失敗
大学合格後の東京での一人暮らしを控え、パソコンが欲しいと考えるようになりました。
高校三年生にもなると親の負担も少々考え出したのか、パソコンは自分で買うと決めていました。
15インチのノーパソコンとインクジェット複合機のセット(新生活応援セットとかいうやつ)を10万円で購入。
お小遣いやお年玉はこのために貯めてきたのだと思い10万円の出費に躊躇はありませんでした。
ただ今までの自分ではありえないほどの多額の買い物ではありましたが、それすら貯金の一部を使うだけの範疇に留まっていました。
潤沢な一部を使うだけという感覚はずっと続いていました。
しかし買ったノートPCは当時を考えても情弱スペックのものであり、すっかり家電量販店の策略にハマった悪い買い物をしていました。
それに気づくのは大学入学後数年してから。
それまでは自分の欲しいものが他に比べて良いものなのか、コストに見合ったものなのかの調査を全くせず、
そこに提示されたものだけで判断して買い物をしてしまっていました。
今まではただ単に買い物の機会が少なく失敗の機会もなかっただけで、賢い買い物ができるというスキルは持ち合わせていませんでした。
今過去を振り返ってもこの時に買った新生活応援セットは人生の中で最悪の買い物だと思っています。
(大学~社会人編につづく)